HERITAGE COLUMN

ラミーの歴史と万年筆の特徴

THE HISTORY OF LAMY

1930年創業。バウハウスの思想を万年筆に持ち込んだ、ドイツのデザインブランド。

万年筆を売る店として、ラミーという名前を「ドイツの高級筆記具メーカーです」の一言で終わらせてしまうのは、あまりにも惜しいと感じています。この会社の背骨には、アメリカの筆記具会社で働いていた一人の営業マンが単身ハイデルベルクに立ち上げた小さな万年筆工場、家電デザインの巨匠との運命的な出会いから生まれた「西暦2000年になっても通用するデザイン」というコンセプト、そして10代の少年少女の書き心地を科学的に研究し尽くして生まれたロングセラーの物語があります。今回は、そうしたラミーという会社の輪郭を、できるだけ具体的な事実に基づいて掘り下げてご紹介します。

ラミーとは

ラミー(LAMY)は、1930年にドイツ・ハイデルベルクで創業した筆記具メーカーです。正式名称はC. Josef Lamy GmbHで、万年筆をはじめとするローラーボール、ボールペン、シャープペンシルなど幅広い筆記具を手がけています。日本の万年筆メーカーが金ペン先の職人技や国産初の技術開発を軸に歩んできたのに対し、ラミーはバウハウスに通じる「機能によって形が決まるデザイン」という思想を製品づくりの中心に据え続けてきたという点で、際立った個性を持つメーカーです。

創業から現在まで、本社と生産拠点はハイデルベルクから移されておらず、部品製造の大部分と全製品の組み立てをドイツ国内の自社工場で行うという方針が守られています。製造工程の約95%を自社内でまかなっているとされ、人件費の安い地域に生産を移すという選択をせず、その代わりに徹底した工場のオートメーション化によって品質と価格のバランスを取ってきました。現在は世界80か国以上で販売される国際的なブランドへと成長していますが、2024年には日本の筆記具メーカーである三菱鉛筆がラミーの株式を100%取得し、連結子会社化するという大きな転換点を迎えています。

メーカー名C. Josef Lamy GmbH
ブランド名LAMY(ラミー)
創業1930年
創業者カール・ヨーゼフ・ラミー(C. Josef Lamy)
前身Orthos Füllfederhalter-Fabrik(オルトス万年筆工場)
本社所在地ドイツ・ハイデルベルク(Grenzhöfer Weg 32)
現在の所有者三菱鉛筆株式会社(100%、2024年3月より)
主な事業万年筆をはじめとする筆記具の製造・販売

創業の背景 ―― アメリカ筆記具会社の営業マンが見た可能性

ラミーの物語は、1930年、カール・ヨーゼフ・ラミー(Carl Josef Lamy)がドイツ・ハイデルベルクに小さな万年筆工場を設立したことから始まります。ラミーは、当時アメリカの筆記具会社(一般にパーカー社の関連会社と伝えられています)で営業やマネージャーとして働いていた人物で、そこで得た筆記具ビジネスの知見を活かし、Orthos社を買収する形でこの工場を興しました。社名の「Orthos Füllfederhalter-Fabrik」という名前が示すように、当初はまだ「LAMY」というブランド名を掲げてはおらず、ORTHOSやARTUSといったブランドで製品を展開していました。

創業から間もない1939年、第二次世界大戦が始まる頃には、この小さな工場は年間20万本を超える万年筆を生産する規模に成長していたとされています。しかし戦時中から戦後にかけての詳しい社史は、多くの同業他社と同様にあまり明確に語られていません。1948年に社名をC. Josef Lamy GmbHへと改め、1952年には自社ブランド「LAMY」の製品として、独自のインク供給システム「ティントマティック」を搭載した流線形の万年筆「LAMY 27」を発売し、市場に大きな反響を呼びました。この頃のラミーは、まだパーカー製品の影響を色濃く残したデザインを採用していたと伝えられており、後年の「バウハウス的なラミー」というブランドイメージが確立する以前の、いわば助走期間にあたります。1957年には本社をハイデルベルク市内のビーブリンゲン地区に移転しており、この場所が現在まで続くラミーの本拠地となっています。

デザインの転換点 ―― マンフレート・ラミーとバウハウスとの出会い

ラミーというブランドの方向性を決定づけたのは、創業者の息子であるマンフレート・ラミー(Manfred Lamy)が1962年にマーケティング部長として入社したことでした。マンフレートは、当時プロダクトデザインの分野で市場をリードしていたブラウン社やオリベッティ社をベンチマークとして注目しており、「機能によって形が決まる」というバウハウスの理念に強く着目していました。

1966年、マンフレートは、かつてブラウン社で電気シェーバーなどの製品デザインを手がけていた著名デザイナー、ゲルト・アルフレート・ミュラー(Gerd A. Müller)と運命的に出会います。二人は「バウハウスの伝統に基づく万年筆デザイン」という共同プロジェクトを立ち上げ、同年秋に「LAMY 2000」を世に送り出しました。この製品の革新性は、他ブランドが装飾性を競っていた時代に、不要な素材や機能を削ぎ落とし、実用性のみを追求したという点にありました。素材としては、マットな仕上げのステンレススチールと、当時まだ技術的に確立されていなかったポリカーボネート素材「マクロロン」を組み合わせるという、1960年代半ばの技術水準では前例のない新しい技術標準を打ち立てています。

「西暦2000年になっても通用するデザイン」というコンセプトのもとに生まれたこの万年筆は、発売から半世紀以上を経た現在も、当初とほぼ同じ姿のまま販売され続けています。ボディの継ぎ目がほとんど見えないほどの精密な表面加工は、デザイナーの美意識を細部まで実現するラミーの製作技術の高さを物語るものであり、LAMY 2000は今日まで続くラミーのデザイン・ガイドラインの礎になったと位置づけられています。1973年、マンフレート・ラミーはC. Josef Lamy GmbHの単独マネージングディレクターに就任し、以後長年にわたってラミーの経営とデザイン哲学を統括する立場を担いました。

「LAMY safari」の誕生 ―― 10代の書き手のための科学的アプローチ

1980年、ラミーはフランクフルトの見本市において、後に世界で最も売れる万年筆の一つとなる「LAMY safari」を初めて発表しました。この製品の発売当時、それが世界的なベストセラーになると予想していた人はほとんどいなかったと伝えられています。

LAMY safariの開発において特筆すべきは、その背景にあったアプローチの科学的な徹底ぶりです。ラミーは、市場心理学者であるベルント・シュピーゲル(Bernt Spiegel)教授が率いる「マンハイム開発グループ」と、デザイナーのウルフガング・ファビアン(Wolfgang Fabian)に対して、学生向けの万年筆の開発を依頼しました。この共同作業を通じて、ラミーは10歳から15歳という若年層をターゲットにすることに初めて成功したとされています。青少年心理学の分野における広範な研究に基づき、人間工学的なデザインと耐久性を兼ね備えた形状が追求され、学生の筆記時のストレスを軽減し、書くことそのものを楽しくするという狙いが込められました。結果として、LAMY safariは学生だけでなく大人にも急速に受け入れられ、ドイツ国内の学生から高い支持を得る、ラミーの主力製品としての地位を確立していきます。

このLAMY safariの開発姿勢は、ラミーという会社が単に見た目の美しさだけを追求するデザインブランドではなく、「誰が、どのように使うか」という使用者の実際の体験を重視するプロダクト開発の姿勢を持っていたことを示す好例だといえます。

自社生産体制の強化と、ものづくりへのこだわり

1980年代のラミーは、デザインの評価を高める一方で、製造体制の自立化にも大きく力を入れています。1985年には新しい射出成型室を稼働させ、万年筆本体だけでなく替芯やインクカートリッジまでを自社内で生産できる体制を整えました。これは、部品調達を外部に依存せず「メイド・イン・ジャーマニー」を体現するという、ラミーの品質に対する約束を形にした出来事です。続く1989年には、インクそのものの自社生産も開始し、独立した経営とものづくりへの情熱をさらに深めていきました。

1986年7月、創業者であるカール・ヨーゼフ・ラミーが87歳でこの世を去りますが、その直前の同年、ラミーデザイン20周年を記念して本社建物の入り口が「ラミーデザインの理念を反映した」形にリデザインされています。1988年には、製品デザインだけでなくパッケージや広告、店舗展示、企業建築に至るまでの一貫した取り組みが評価され、欧州委員会から「1988年ヨーロピアン・デザイン・アワード」を受賞しました。

1996年には、ラミーデザイン30周年を記念して、大きなガラス天井から光が差し込む「ラミー・ガレリア」と呼ばれる新しい展示空間が本社内にオープンしています。このギャラリーに隣接する形で新製品の設計・試作・製造が行われる開発センターも建設されており、太陽光パネルを備えた黒いガラスの立方体という外観は、シンプルさと節度、機能性というラミーの核となる哲学を体現するものとして設計されました。建物全体にソーラーモジュールを配置し、雨水を貯水槽に集めて水消費量を削減するといった環境配慮の取り組みも、この時期から進められています。

ラミー万年筆の歴史(年表)

1930年の創業から現在まで、ラミーはデザインと製造技術の両面で数々の革新を積み重ねてきました。主な出来事を年表としてまとめます。

主な出来事
1930年カール・ヨーゼフ・ラミーが、ドイツ・ハイデルベルクにOrthos Füllfederhalter-Fabrik万年筆工場を設立。
1939年第二次世界大戦初期、ORTHOSおよびARTUSブランドのもとで年間20万本を超える万年筆を生産。
1948年社名をC. Josef Lamy GmbHに改称。
1952年独自のインク供給システム「ティントマティック」を搭載した流線形万年筆「LAMY 27」を発売し、市場に反響を呼ぶ。
1957年本社をハイデルベルク・ビーブリンゲン地区の現所在地に移転。
1962年創業者の息子マンフレート・ラミーがマーケティング部長として入社。
1964年ドイツ初となる大容量替芯とステンレスチップを備えたボールペン「LAMY exact」を発売し、ボールペン市場での地位を確立。
1966年デザイナー・ゲルト・アルフレート・ミュラーとの共同プロジェクトにより「LAMY 2000」を発売。バウハウスの理念に基づくデザイン言語の原点となる。
1972年専門ディーラーを通じた独自の販売網「ラミー・ライティング・インスツルメント・センター」の展開を開始。
1973年マンフレート・ラミーがC. Josef Lamy GmbH単独のマネージングディレクターに就任。
1980年フランクフルト見本市で「LAMY safari」を発表。マンハイム開発グループとウルフガング・ファビアンの共同開発による、学生向け万年筆として誕生。
1983年ウルフガング・ファビアンのデザインによる「LAMY logo(ロゴ)ステンレスヘアライン」を発売。
1985年新しい射出成型室が稼働し、万年筆・替芯・インクカートリッジの自社生産体制を確立。
1986年創業者カール・ヨーゼフ・ラミーが87歳で死去。
1989年インクの自社生産を開始。
1996年ラミーデザイン30周年を記念し、本社内に「ラミー・ガレリア」と新開発センターを開設。
2000年デザイナー・ハンネス・ヴェトシュタインによる「LAMY scribble」を発売。
2006年マンフレート・ラミーが社長を退任し、諮問委員会メンバーに就任。プロ経営者のベルンハルト・M・レスナーが後任社長に就任。
2009年デザイナー・フランコ・クリヴィオらによる、ペン先収納機構を持つ万年筆「LAMY dialog 3」を発表。
2013年創業から半世紀以上を経て、ステンレススチール製フルメタルボディの「LAMY 2000ステンレススチール」を発売。同年、ドイツ・ブランド・アワードの万年筆部門を受賞。
2018年長年の中核社員であるベアーテ・オブラウ、トーマス・トラップと、プロ経営者のペーター・ウチュの3人による経営チームが発足。
2021年1月長年ラミーを率いたマンフレート・ラミーが84歳で死去。
2022年プロ経営者のシュテフェン・リュプケが最高経営責任者(CEO)に就任。
2024年2月〜3月三菱鉛筆株式会社がラミーの全株式を取得することに創業家が合意し、3月に連結子会社化の手続きが完了。
2025年1月三菱鉛筆の販売網を通じて、日本市場でのLAMY商品の取り扱いが本格的に開始。

デザイン哲学 ―― バウハウスの「形は機能に従う」

ラミーの万年筆を語るうえで欠かせないのが、創業から現在まで受け継がれているデザイン哲学です。その根底にあるのは、20世紀初頭のドイツで生まれたバウハウス運動の理念、すなわち「形は機能に従う(Form follows function)」という考え方です。装飾のための装飾を排し、その道具が果たすべき機能から自然に導かれる形だけを残すという発想は、1966年のLAMY 2000で初めて明確な形を取り、以後ラミーのすべての製品デザインの基準になっています。

このデザイン哲学は、単に「シンプルな見た目にする」ということを意味しているわけではありません。LAMY 2000におけるマットなステンレススチールとポリカーボネート樹脂マクロロンの組み合わせのように、当時の技術水準では実現が難しかった新素材への挑戦や、LAMY safariの開発時に見られたような対象ユーザーの心理・行動研究に基づく人間工学的な設計など、機能を突き詰めるプロセス自体に高度な技術力とリサーチが投入されているのがラミーの特徴です。ラミーの製品がドイツ連邦デザイン賞(LAMY spirit、LAMY pico、LAMY noto)や、iFデザイン賞、レッド・ドット・デザイン賞(LAMY dialog 3)など、数々のデザイン賞を受賞してきたのは、この哲学が一貫して製品に落とし込まれてきた結果だといえます。

もう一つの重要な特徴が、デザインを外部の著名デザイナーとの協業によって生み出すという姿勢です。LAMY 2000のゲルト・アルフレート・ミュラー、LAMY safariのウルフガング・ファビアン、LAMY scribbleのハンネス・ヴェトシュタイン、LAMY notoの深沢直人、LAMY dialog 3のフランコ・クリヴィオなど、それぞれの時代を代表する工業デザイナーとの共同開発によって、ラミーの製品ラインは形成されてきました。一つの企業のハウススタイルに閉じることなく、外部の才能を積極的に取り入れながらも、「機能によって形が決まる」という一貫した基準を保ち続けている点は、他の伝統的な万年筆メーカーとは異なるラミーならではのものづくりの姿勢です。

ハイデルベルクの自社工場という選択

ラミーのものづくりを支えるもう一つの柱が、創業から変わらないハイデルベルクでの自社生産へのこだわりです。多くの筆記具メーカーが人件費の安い地域への生産移管を進めた時代においても、ラミーは本社と同じハイデルベルクの工場で、部品製造の大部分から製品の組み立てまでを一貫して行うという方針を守り続けてきました。製造工程の約95%を自社内でまかなっているとされ、この体制は「メイド・イン・ジャーマニー」という品質保証の言葉を単なるスローガンではなく実質のあるものにしています。

この自社生産へのこだわりを可能にしているのが、徹底した工場の自動化(オートメーション化)です。途上国の安価な労働力を活用できないという制約のもとで品質と価格のバランスを取るため、ラミーは生産ラインの機械化と精密な工程管理に力を入れてきました。1985年の射出成型室の稼働や、1989年のインク自社生産開始は、いずれもこうした自立的な生産体制を強化するための投資でした。デザイナーの美意識を細部まで実現するという目標と、量産品としての価格競争力を両立させるという、一見矛盾しかねない二つの要求を同時に満たそうとしてきたことが、ラミーという会社の技術的な背骨になっています。

ラミー万年筆の特徴

ラミーの万年筆には、次のような特徴があります。

ラミー最大の特徴は、素材とデザインの実験精神が非常に豊かであることです。LAMY 2000に使われたマクロロン(ポリカーボネート樹脂)とステンレスの組み合わせのように、当時の常識にとらわれない新素材への挑戦を製品化してきた歴史があり、現在の製品群にもアルミニウム合金(LAMY AL-star)やABS樹脂(LAMY safari)など、モデルごとに異なる素材の個性を楽しめる幅広さがあります。

ペン先については、日本の万年筆メーカーが金の含有率や研ぎの技術による書き味の細やかな調整を追求するのに対し、ラミーはスチール(ステンレス)ペン先を中心とした比較的シンプルな構成のモデルが主力です。一方で、LAMY 2000や上位モデルには14金ペン先も採用されており、価格帯に応じてペン先の素材を選べる点は共通しています。字幅の展開はEF(極細)からB(太字)までが標準的で、日本の万年筆メーカーのように長刀研ぎのような特殊な研ぎ技術を前面に出すというよりも、デザインそのものの完成度と機能性で選ばれるブランドだという特徴があります。

また、多くのモデルがカートリッジとコンバーターの両方式に対応しており、特にLAMY safariやLAMY AL-starはヨーロッパ規格の大容量カートリッジに対応しているため、インクの補充頻度を抑えられるという実用面での利点もあります。クリップやキャップの機構、グリップの形状に至るまで、人間工学的な検証を経て設計されているという点は、LAMY safariの開発経緯からもうかがえるラミーらしい姿勢です。

なお、書き味の感じ方には個人差があるため、「ラミーが誰にとっても最高である」といった断定は避け、あくまでデザイン哲学と技術的な特徴という事実を中心にお伝えしています。

代表的なシリーズ

LAMY 2000

1966年にゲルト・アルフレート・ミュラーのデザインで発売された、ラミーのフラッグシップシリーズです。マットなステンレススチールとポリカーボネート樹脂マクロロンを組み合わせたボディは、発売から半世紀以上を経てもほぼ変わらないデザインで販売され続けています。2013年には全金属製のステンレススチールバージョンも登場し、バウハウスの理念を体現する永遠のロングセラーとして位置づけられています。

LAMY safari

1980年、マンハイム開発グループとウルフガング・ファビアンの共同開発によって誕生した学生向けモデルです。ABS樹脂の軸に多彩なカラーバリエーションを展開し、毎年登場する限定色も人気を集めています。世界で最も売れている万年筆の一つとされ、ドイツ本国の学生から高い支持を受ける、ラミーの主力製品です。

LAMY AL-star

LAMY safariの上位モデルとして展開されるシリーズです。軸にアルミニウム合金を採用しているため、safariよりもやや太く、重量感のある書き心地を持ちます。

LAMY logo

ウルフガング・ファビアンのデザインによる、1983年発売のロングセラーシリーズです。ステンレスヘアライン、ステンレス、ロゴプラスという素材の異なる3つのバリエーションに細分化されており、シンプルで洗練されたストレート軸が特徴です。手にしやすい価格帯であることも人気の理由の一つです。

LAMY dialog 3

2009年にフランコ・クリヴィオらによってデザインされた、ツイスト式でペン先を収納できる万年筆です。ペン先には14金を採用し、筆記時にはスプリング機構によってクリップが固定されるという独自の工夫が施されています。

LAMY scribble

2000年にハンネス・ヴェトシュタインのデザインで発売された、太くて短い軸を持つシリーズです。デッサンの邪魔にならないようクリップの着脱が簡単にできる設計で、建築事務所やデザインスタジオで働くクリエイターの間で人気を集めました。

初めての万年筆としてのラミー

ラミーには、LAMY safariのような比較的手頃な価格帯の学生向けモデルから、LAMY 2000のような技術と美意識の結晶ともいえるフラッグシップモデルまで、幅広い選択肢があります。初めて万年筆を使う方が最初から高価格帯の商品を選ぶ必要はなく、まずはどのようなデザインや素材に惹かれるかを確認したうえで、日常的に使いやすい一本を選ぶことが大切です。

LAMY safariは、もともと10代の学生を対象に人間工学的な検証を重ねて開発された製品であるため、初めて万年筆を握る方にとってもグリップの持ちやすさや軽さといった点で扶けになりやすいモデルです。カートリッジ式で手軽に使い始められ、慣れてきたらコンバーターでボトルインクを楽しむという段階的な使い方もできます。日本の万年筆メーカーとは異なるデザインの発想に触れてみたいという方にとって、ラミーは非常に良い入り口になるブランドだといえるでしょう。

ラミーの万年筆が向いている人

ラミーは、次のような方に検討しやすいメーカーです。

装飾性よりも機能性やミニマルなデザインを重視したいという方には、バウハウスの理念を体現するラミーの製品群が特に向いています。LAMY 2000のように「不要なものを削ぎ落とす」という発想でつくられた道具を持ちたい方にとって、ラミーの美意識は共感しやすいものです。

万年筆を単なる筆記具としてだけでなく、工業デザインのプロダクトとして楽しみたい方にも、ラミーはふさわしい選択肢です。世界的な工業デザイナーたちとの協業によって生まれた製品ラインを比較しながら、自分の感性に合うデザインを探すという楽しみ方ができます。

明るい色使いやカジュアルな雰囲気を求める方、あるいは初めての一本として持ちやすく扱いやすいモデルを探している方にも、LAMY safariをはじめとするラミーのラインナップは適しています。一方で、書き味の感じ方には筆圧や手の大きさ、利き手による個人差があります。ラミーがすべての方にとって最適とは限らないため、他メーカーの商品とあわせて比較検討することをおすすめします。

ラミーを選ぶ前に確認したいこと

ラミーの万年筆といっても、商品によってペン先の素材、軸の材質、対応するインク方式は大きく異なります。購入前には、次の項目を確認しておくと選びやすくなります。

ペン先の素材については、スチール製のモデルと金ペン(14金など)を採用するモデルとで、書き味の印象や価格帯が大きく異なります。可能であれば実際の試筆を行い、自分の筆圧に合ったモデルを選ぶことをおすすめします。

インクの補充方式については、多くのモデルがカートリッジ・コンバーター両用式ですが、ラミーのカートリッジはヨーロッパ規格の国際標準サイズを採用しているため、日本の他メーカー製品とは規格が異なる場合があります。事前に対応するカートリッジやコンバーターの種類を確認しておくと安心です。

また、LAMY safariやAL-starのように毎年限定色が展開されるモデルについては、人気の色が早期に売り切れることも多いため、欲しい色がある場合は在庫状況を早めに確認しておくことをおすすめします。

まとめ ―― ラミーの歴史を知ったうえで一本を選ぶ

ラミーの歴史は、1930年、アメリカの筆記具会社で働いていた一人の営業マンがハイデルベルクに小さな万年筆工場を興したことから始まりました。当初はまだ独自のブランドを持たない工場でしたが、1966年、マンフレート・ラミーとゲルト・アルフレート・ミュラーという二人の出会いによって「バウハウスの伝統に基づく万年筆デザイン」という明確な理念が確立され、以後のラミーのすべての製品を貫く基準になりました。

学生の書き心地を科学的に研究し尽くして生まれたLAMY safari、途上国への生産移管を選ばずにハイデルベルクでの自社生産にこだわり続けた製造体制、そして半世紀以上前のデザインが今も現行品として通用するLAMY 2000。これらの物語を知ったうえでラミーの万年筆を手に取ると、単なる筆記具としての価値だけでなく、そこに込められたドイツ工業デザインの思想と徹底したものづくりの姿勢を感じ取ることができるはずです。2024年に三菱鉛筆の傘下に入った現在も、ハイデルベルクでの生産体制とデザイン哲学は引き続き守られています。初めて手に取りやすいモデルから、デザイナーとの協業によって生まれた個性的なモデルまで、ご自身の感性や用途に合う一本をじっくりと探してみてください。

CURATED COLLECTION

当店で取り扱うラミーの万年筆

歴史や背景を知った上で、ぜひ実際の商品をお手にとってご覧ください。

ラミー 2000 メタル の商品写真
LAMY / ラミー

ラミー 2000 メタル

「西暦2000年になっても古さを感じないデザイン」コンセプトのもとに作られたラミーを代表するこのモデルは、筆記具の中でも最…

¥55,000(税込) 商品を見る

商品選びに迷った場合

ラミーの万年筆は、商品によって価格、ペン先、インクの補充方法が異なります。どの商品を選べばよいか迷った場合は、まず予算と普段書く文字の大きさから候補を絞ってみてください。

FINAL THOUGHTS

ラミーの歴史を知ったうえで一本を選ぶ

ラミーの歴史は、1930年、アメリカの筆記具会社で働いていた一人の営業マンがハイデルベルクに小さな万年筆工場を興したことから始まりました。当初はまだ独自のブランドを持たない工場でしたが、1966年、マンフレート・ラミーとゲルト・アルフレート・ミュラーという二人の出会いによって「バウハウスの伝統に基づく万年筆デザイン」という明確な理念が確立され、以後のラミーのすべての製品を貫く基準になりました。

学生の書き心地を科学的に研究し尽くして生まれたLAMY safari、途上国への生産移管を選ばずにハイデルベルクでの自社生産にこだわり続けた製造体制、そして半世紀以上前のデザインが今も現行品として通用するLAMY 2000。これらの物語を知ったうえでラミーの万年筆を手に取ると、単なる筆記具としての価値だけでなく、そこに込められたドイツ工業デザインの思想と徹底したものづくりの姿勢を感じ取ることができるはずです。2024年に三菱鉛筆の傘下に入った現在も、ハイデルベルクでの生産体制とデザイン哲学は引き続き守られています。初めて手に取りやすいモデルから、デザイナーとの協業によって生まれた個性的なモデルまで、ご自身の感性や用途に合う一本をじっくりと探してみてください。

参考資料(一次情報)

  • C. Josef Lamy GmbH「The company and the brand LAMY」「LAMY stands for quality」(lamy.com)
  • LAMY Singapore「Lamy's history of continuous innovation」(company-history)
  • Red Dot Design Award「Obituary Manfred Lamy」
  • 日本語版Wikipedia「ラミー (企業)」
  • 三菱鉛筆株式会社「C. Josef Lamy GmbHの持分の取得(連結子会社化)に関するお知らせ」「三菱鉛筆の販売網を通じた日本市場でのLAMY商品の扱いを開始」
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